最近、あるYouTube動画を見て、とても腑に落ちる感覚がありました。
その動画が伝えていたのは、
「どうでもいい」という境地の先に、本当の幸せがある
というメッセージでした。
一見すると、「どうでもいい」という言葉は、
投げやり、諦め、無関心のように聞こえるかもしれません。
でも、動画の中で語られていた「どうでもいい」は、
そういう意味ではありませんでした。
「どうでもいい」は、諦めではなく“解放”
私たちは日常の中で、
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ちゃんとしなければ
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頑張らなければ
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評価されなければ
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正しくいなければ
と、知らず知らずのうちに、
たくさんの「ねばならない」に縛られています。
それが強くなりすぎると、
心は緊張し、
不安や悲しみを感じる余裕すらなくなってしまいます。
動画で語られていた「どうでもいい」とは、
こうした自分を縛っていた前提を、そっと手放すことでした。
うまくいかなくてもいい。
嫌われてもいい。
思い通りにならなくてもいい。
そう思えたとき、
初めて心が深く呼吸を始めます。
悲しみや不安は、消すものではない
この動画で印象的だったのは、
悲しみや不安を「なくそう」としない姿勢でした。
多くの場合、私たちは、
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不安を感じてはいけない
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落ち込んではいけない
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前向きでいなければならない
と、自分の感情を否定しがちです。
でも、悲しみも不安も、
今を生きている証拠であり、
大切な感情の一部です。
それを無理に押さえ込まず、
「そう感じている自分がいるんだな」と認める。
それだけで、
心は少しずつ落ち着いていきます。
幸せは、外側ではなく内側にあった
動画を通して感じたのは、
幸せの正体についての、とてもシンプルな答えでした。
幸せは、
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成果を出した先
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認められた先
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何かを手に入れた先
にあるものではなく、
自分を責めるのをやめた先
比較をやめた先
執着を手放した先
に、自然と現れるものなのだと思います。
「どうでもいい」と思えた瞬間、
私たちは何かを失うのではなく、
むしろ、重たい荷物を下ろしているのかもしれません。
自分を生きる、ということ
「自分を生きる」とは、
何か特別な生き方をすることではありません。
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感情をごまかさない
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無理に強がらない
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他人の基準で自分を測らない
そんな、当たり前のことを
当たり前に許すこと。
その積み重ねの先に、
静かで、穏やかな幸せがあります。
「どうでもいい」の先にあったもの
動画を見終えたあと、
こんな感覚が残りました。
幸せになろうと必死だったときより、
幸せになろうとするのをやめたときのほうが、
ずっと心が満たされている。
「どうでもいい」と思えた先には、
諦めではなく、
安心と自由がありました。
それは、ずっと探していた幸せの正体だったのかもしれません。
もし今、
頑張りすぎている人、
不安や悲しみを抱えている人がいたら、
少しだけ、
力を抜いてみてもいいのだと思います。
「どうでもいい」と思えたその先に、
思ってもみなかった優しい世界が、
きっと待っています。
今日も、お陰様で。