





斎藤一人さんの教えを紹介するYouTube動画を見て、「これは、最近自分が考えていたこととつながっている」と感じました😊
神社は願い事を伝える場所でもありますが、それ以上に、今こうして生かされていることへの感謝を伝える場所なのかもしれません。
普通に生きて、食べるものがあり、安心して住める場所があり、暮らしていけるお金があり、愛する人がそばにいる。
一見すると当たり前のようですが、これは決して当たり前ではなく、巨万の富にも相当するほどの、大きな幸せと豊かさだと思います。
以前、僕は阿蘇神社で「結婚相手が見つかりますように」とお願いしました。恋人も、同じように阿蘇神社で結婚のご縁を願っていたそうです。
そして今、二人は出会い、一緒に暮らし、霧島神宮にも二人で参拝することができました。
「あの願いを叶えてください」から、
「すでに願いを叶えていただいていました。ありがとうございます」へ。
自分の祈りが、少しずつ変わってきたように感じます🙏
もちろん、感謝しているからといって、新しい願いを持ってはいけないわけではありません。もう少し収入に余裕が欲しい、仕事の負担を軽くしたい、穏やかに暮らしたい――そう願うことも自然なことです。
ただ、幸せになるために何かを次々と「足す」だけでなく、心配、比較、執着、無理な仕事、人の期待を背負いすぎることなどを、少しずつ手放す「引き算」も大切なのでしょう。
神様に特別扱いされたいというより、すでにいただいている恵みに気づき、感謝しながら毎日を丁寧に生きる。
掃除をする。
人に感謝を伝える。
疲れたら休む。
無理なことには境界線を引く。
愛する人との食卓を大切にする。
そうした小さな実践の積み重ねが、人生の流れを整えていくのだと思います。
今日も生かされていること、大切な人と暮らせること、龍神さま、ご先祖様、英霊、そして日々支えてくださる皆様に感謝します。
福は、遠い場所にあるのではなく、すでに整えられた日常の中に宿っているのかもしれません😊🙏🐲🐉⛩️